子宮外妊娠を乗り越えて〜タイトルバナー

2度目は流産



平成10年8月

その後、1年間は、お気楽夫婦は、海外旅行へ行ったり、アルバイトをしたりして
けっこうエンジョイ生活を過ごしていました。そして、1年が過ぎた7月、避妊生活が終わり
子作り解禁です!
 
すると、驚くことに即妊娠に結びつきました。
生理が遅れていたのですが、こんなに早く妊娠しするはずないと思い検査薬も試さずに
のんきにかまえていました。
すると数日後に出血があり、「生理がきたな!」っと思っていたのですが、
基礎体温が高いまま、
これは、「もしかして???」と思いあわてて妊娠検査薬を試しました。
すると、うすーく色が変わりました。
「え〜こんなに早く赤ちゃんができたの?でも、出血が続いてるまさか?子宮外妊娠?」
私は、昨年の恐怖がよみがえり怖くてたまりませんでした。

 数日後、夜トイレに行くと、「ぽった〜っ」と真っ赤な塊のようなものが落ちました。
もしかして?もしかして?恐れていた子宮外妊娠?流産?
その夜、救急で前に子宮外妊娠でお世話になった病院へ行きました。

すると、当直の女医さんが、

「今、お産でいそがしいのよね。どうしてこんな夜にくるの?
今は、検査もできないのよ、カルテもすぐでないからね。」「あなた結婚してるの?」

・・・・とっても辛い言葉でした。

でも、とりあえず入院を勧められましたが、私は「こんな先生がいる病院へは
入院したくない」と思い入院拒否をしました。

すると、その女医さんは、

「命になにかあっても保証しませんからね。念書を書いてから帰ってください」と言いました。
悔しくって待合室で待っている母とだんなさんの所へ飛んでいき、泣いてしまいました。

 翌朝、母に付き添ってもらい別の総合病院へ行きました。
今までのことを説明し、診察を受けると妊娠反応は薄れているけれど、
赤ちゃんらしきものがはがれかけているようなので
即処置をしたほうがいいのではとのことで入院をしました。
そして、午後に掻爬の前処置のラミナリアがものすごい激痛でした。

そしてその数時間後に流産処置を受けました。

「どうして私ばっかりこんな思いをしなくちゃいけないの?」と母にあたってしまいました。

2度も心配かけている私はなんて親不孝なんだろう・・・・。赤ちゃんごめん。
また産んであげられなくて・・・・・。

そして、退院診察の時、先生が「1回生理がくれば大丈夫だと思いますから、頑張ってください」とおっしゃいました。
やはり能天気な私はこれから頑張っていこうという気持ちにすぐ切りかえました。次にくる恐怖もしらずに・・・・。


検索エンジンから
来られた方は
こちらへ↓
子宮外妊娠を乗り越えて〜4年と9ヶ月〜













女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理