子宮外妊娠を乗り越えて〜タイトルバナー

はじめての妊娠は子宮外妊娠?


平成9年5月

私は、結婚すれば、赤ちゃんは普通にできるものだと信じて疑っていませんでした。
不妊は私にとって他人事で全く関係ないことだと。
結婚して2年そろそろ赤ちゃんが欲しいなあっと思い2人の生活から変化が
欲しくて避妊をやめました。
(主人はもう少し2人でいたいと言っていたけれど・・・・)
避妊を止めれば、すぐに妊娠すると思っていたのに、なかなか妊娠しません。
おかしいなあっと思い、タイミング妊娠法という本を読み、排卵前日と排卵日のみの
性交をすれば、妊娠できるという知識を得ました。
次の月に 生理の予定日の3日くらいから、おりものが有り、生理予定当日にはキチンと
生理がきてしまいました。

「なんだ、今回もだめだったじゃない」

と 思っていました。まあいつものことで落ち込むほどではありませんでした。

ところが、いつもの生理?とは違い出血がなかなか終わらないのです。 だらだら続き
おかしいなあっと思い友達に相談し、妊振検査薬を試してみると くっきり陽性反応が
数秒で反応しました。

「やった!」っと心では思いましたが、 もしかして流産?っと言う不安もあり、数日後に
病院へ行きました。 すると、

「妊娠はしていますが、まだ胎のうが見えていませんし、
出血もあるので 流産の可能性があります。いちおう予定日は来年の1月22日です。」

やっと妊娠できたのに、流産絶対いやだ!この赤ちゃんを守ろうと思いました。
でも、出血は、続きました。1週間後病院へ、まだ胎のうは見えませんでした。

「もしかしたら、子宮外妊娠かもしれないです。」

と先生に言われとても動揺しました。
「子宮外妊娠」ていったい・・・?」そんな感じでした。  

 そして翌日の夜、大出血してしまい、救急で病院へ行きました。
内診の結果「掻爬(胎児をかきだす)」することになりました。
私は気持ちが動揺していたせいか先生に

「処置したら赤ちゃんは もうあきれめなくてはいけないのですよね?」と当たり前の
質問してしまいました。

主人と母になぐさめられ分娩台で処置しました。 腕に麻酔を打ち、いつのまにか眠って
いました。処置中は、痛かったように 感じました。
目がさめると、まだ分娩台の上でした。悲しかったけど、 看護婦さんになぐさめられ、
車椅子で病室へ行きました。

それから、3日後出血は相変わらず続いていました。
尿検査の結果、まだ妊娠反応がでているので、

「子宮外妊娠が濃厚ですこれから、即手術したほうがいい」

っと 先生に言われ、なにがなんだかわからないまま 、心電図やX線などの検査をして
病室にいると先生が、「手術は明日します」とのこと。  

そして、その夜、泣き虫の私は、悲しくて病室で泣いてしまいました。
すると、看護婦さんが通りかかり心配していろいろ話しをしてくれました。
「次があるから、頑張ろうね」と 励まして下さり、その日は、睡眠薬を飲み眠りました。
翌朝、浣腸と点滴をして手術を待っていると、先生がいらして、
「手術は、中止になりました」とのこと。話を聞くと
「はじめての妊娠なので、 いきなりお腹をきるのは、良くないので、抗がん剤(MTX)治療に
切り替えたい ・・・。」

先生に任せようと思い一つ返事で承諾しました。卵管にいるだろう赤ちゃんの細胞を 小さくし、
そのまま流産させるそうです。

翌日から、4日間おしりに抗がん剤を打ちました。筋肉注射なので、痛かったです。
でも、赤ちゃんは、もっと苦しいんだなあっと思うととても辛かったです。 私の痛みなんか
たいしたこと無いっと感じました。
そして、抗がん剤の結果、尿反応が、みるみる落ちたので2週間の入院生活にピリオドを
打ちましたが、通院は続いていました。

通院3回目の前日の夜中、すっかり全てのことが終わったと思い、お調子者の私は
主人と飲茶を食べて快気祝いなぞをやっていました。
その夜に、突然お腹に違和感を感じ何度も何度も トイレに行きました。でも、便がでるわけでもなくただひたすら、冷や汗がでました。
そして、朝になり、胃腸薬を飲み病院へ行きました。
すると、

「尿の値がまた上がっている。お腹の中で出血もしてる。右卵管で赤ちゃんの心拍らしきものもある。手術しないとあなたの命にかかわります。」

といわれました。 赤ちゃんが栄養をとってまた、育っていたのです。
即、点滴が始まり意識ももうろうとした中で手術室に運ばれました。
手術室では、「ひだまりのうた」が流れていました。(この曲を聴くと今でもとっても悲しくなります。)麻酔をかけ、目覚めたら、だんなさんと母が、
「卵管とらずにすんだから、大丈夫よ」 っと。
「よかった。卵管はとらないですんだんだ」きっと赤チャンが守ってくれたのだっと思いました。 でも、赤ちゃんは、私の中で「生きたい生きたい」と言っているように思いました。

卵管のせまいところで、抗がん剤にも負けないで、
私を選んできてくれた赤ちゃんを どうして、この世に産んであげることができなかったのかな? 私の命なんかより赤ちゃんを助けて欲しかった。

術後、日に日に元気になり、5日後には、退院しました。 「1年間は、赤ちゃんは作らない方がいい。」
と指導を受け、1年の避妊生活がはじまりました。


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子宮外妊娠を乗り越えて〜4年と9ヶ月〜





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