子宮外妊娠を乗り越えて〜タイトルバナー

そして右卵管切除  


平成10年11月

 2度目の妊娠・流産のあと、「早く赤ちゃんを産みたい」と願う気持ちが前回よりメキメキと
涌き出てきました。そして、1度の生理のあと、主人の反対も振り切って即解禁しました。
すると生理予定日前におりものがありました。

「これってまさか、外妊じゃないかな?」以前と症状がとても似ていたのです。

でも、「ただのおりものだ」っと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせていました。
でも、だらだらおりもののような出血のようなものが続きました。「生理かもしれない」っと思っていましたが、だんなさんが、「過去のこともあるし、早めに妊娠反応調べたほうがいいよ」と言うので調べてみました。すると、即反応がでました。

うれしい反面また・・・・・恐怖がおそいました。安静にしてしばらく様子をみていました。
数日後、病院へ行きました。先生は、
「流産では?でも胎のうはみえません。もう少し様子をみましょう」とのことでした。

2日後の夕方、トイレへ行くと大出血してしまい、昨年の子宮外妊娠の痛みがよみがえり、
恐ろしくて怖くて救急車を呼んでしまいました。
私は、実家に近い病院へ通院していたため電車に乗り継いでいくのが不安だったのです。
救急隊の方は親切に遠くの病院まで私を運んでくださいました。会社から先周りしてくれていた主人が病院の玄関にいてくれました。

診察の結果、流産でした。

処置室へ向かい処置が始まり、いつの間にか病室で寝ていました。
そこへ主人がきて「大丈夫?ゆっくり休んでね。」と言ってくれました。

退院して、3日後、出血が止まりません。前回の流産のときは、1日で止まったのにおかしい?とは思いましたが、そのうち止まるだろうと軽い気持ちでいました。でも、5日たっても全く止まる
気配さえなく、さらに増えていきました。退院から1週間後の夕方、買い物中にお腹が痛くてたまらなくなり急いで家に帰りトイレに飛び込みました。するとどす黒い血が便器にたれました。
「これはおかしすぎる」いやな予感とともに、入院の仕度をして車で病院へ行きました。

すると、「腸が活発に動いているけれど、卵巣も腫れていないから大丈夫です」っと言われ痛み止めの薬をいただき帰宅しました。不安でしたが先生の言葉を信じました。

痛み止めを飲んで2日後の朝、薬が全く効かなくなりました。すべて家のことを済まして(今思うとよくアイロンをかけたり掃除をしたりして恐ろしいです)お腹が痛くって電車を乗り継ぎ病院へ急ぎました。処置してから、1週間以上たっていましたが妊娠反応が+。
子宮外妊娠の疑いが強くなり再び入院になりました。だんなさんへ電話して入院のことを告げるときとてもつらかったです。

病室で病状の説明を受けた結果、
「右の卵管が腫れていて99%子宮外妊娠だ」と聞かされ私は、覚悟はしていたものの、
動揺が隠しきれませんでした。
母とだんなさんが病院へきてくれた時は、しばらく放心状態でしゃべることが出来ませんでした。主人も母も相当ショックを受けているように見えました。翌日の手術が決まりました。

余談ですが
「子宮外妊娠はショック状態に陥り、死んでしまうこともあるのでトイレへ行く時も、
なにするときも、人がそばにいないと恐ろしい結果になるので絶対に1人で歩くな。」と
厳重に注意されました。

「あと2日くらいじーぃと家にいたらもしかしたらそのまま天へ召されていたのかも・・・」と
言われてぞっとしました。
担当医の先生が、
「明日のことと卵管をどうするかをよく話し合って手術前に返事をしてください」とおしゃいました。

その夜は眠れず睡眠薬を飲みました。「このまま目がさめなくてもいいかな・・・・」
って気分でした。
 朝から点滴は始まりました。母と主人もきてくれて私は少し落ち着きを取り戻し、手術に望みました。「卵管は出来る限り残してください」とお願いして全身麻酔をかけました。
 目覚めたらもう15時くらいになっていました。
先生が

「卵管は癒着がひどくって取ってしまったけれど、左の卵管はちゃんと通っていましたよ」
と言って下さったので安心して眠りました。

術後は、筋肉痛や膀胱炎それに痔に悩まされましたが、順調に回復し1週間後に
退院しました。
病院でお世話になった先生もとっても良くしてくださったし、次こそはこの病院で赤ちゃんを産みに入院したいなあと思いました。


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