子宮外妊娠を乗り越えて〜タイトルバナー

まさかの3度目の子宮外妊娠、、、 

  
平成11年8月

 そして、3回目の生理がきて今度こそ絶対に頑張ろうっと意気込んでいたら、即妊娠。
生理が遅れていたので反応を調べたらくっきり陽性!今回は出血もありません。

「今度こそは普通に妊娠しているかも・・・。
そろそろ胎のうが見える頃なので病院へ行こう」

と思っていたらとうとう恐れていた出血が始まりました。即、病院へ行き診察して
いただくと、左の卵巣が腫れているし、以前のことがあるので入院することに
なってしまいました。
 
私は、もう主人にも母にも電話できないと思いました。
でも、無力な私は頼るところは主人と母しかいないのです。
電話口で母に泣きつきました。主人も早引きして病院へ駆けつけてくれました。

「今度こそって思ってたのにね。どうして君だけこんなことになるんだろうね・・・・・」

と悲しそうに言いました。その時、

辛いのは私だけじゃないんだ。私をこの世に産んでくれた母や私のことを
心から大切に思ってくれている主人も悲しいんだ・・・。強くならなくては!とおもいました。

それからは、毎日、尿検査とエコーを続け、結局、前回と同じ、初期流産ということで
退院が決まりました。本当によかったなあっと思っていました。
1週間後、病院へ行きました。妊娠反応はまだでていましたが、心配はいらないと
言われました。私もその言葉を信じたし、今度は違うっと思いこんでいたのでお腹の痛みが
あったのですが安心しきっていました。

それから数日後の8月27日、(この日は、一年前流産した日同じ日)病院へ行くと先生が

「あれから10日もたっているけれど妊娠反応が出るし腹痛も続いているようだから。
外妊の可能性がでてきたので入院してね」っとおしゃいました。

「どうして?どうして?流産って言ったのに・・・・・。卵管が無くなってしまう・・・・」

病室で私は、外を眺めて泣いていました。神様なんていないだってつくづく感じました。
母はすぐ飛んできてくれました。親孝行しなくてはいけない年齢なのに私は親不孝ばかり。
 
その夜、面会時間が終わったころ、主人が仕事を終えて病院へきてくれました。
「もしも、また外妊でも今は医療が進んでいるんだから方法はあるよ。だから安心して
ゆっくり寝ていなさい」と言ってくれました。
 そして、だんなさんが帰り、しばらくすると、突然お腹が痛くってたまらなくなりました。
看護婦さんに知らせ座薬を入れてもらいましたが、一向に治る気配はなく
再びナースコールをしました。すると先生が駆けつけて処置室へうつされました。

痛み止めの筋肉注射を2本打ちましたが、お腹とお尻に突き上げてくる痛みは、
激しくなるばかりです。エコーを見ると腹部に少しの出血があるので緊急手術に
なってしまいました。
 すぐに両親と主人と連絡をとり病院へきてもらい、手術のサインをしてもらいました。
点滴などの準備をして、手術室へ向かいました。担当の先生に何回も
「卵管残してください」と、お願いしました。先生も「出来る限り残すからね・・・」っと言って下さり
いつの間にか、意識が無くなりました。
 
術後に麻酔がさめ、だんなさんと母が先生から説明を受けている声が聞こえてきました。
「卵管は残せました。それに卵管は傷をつけないで胎児のもとをとることが出来たので
安心してください」と・・・。私は本当に本当にうれしかったです。
母曰く、過去3回の”胎児のもと”を見てきたけど、今回は形もハッキリしていたし赤ちゃんが
きれいに見えたそうです。
術後は、過去3回に比べ回復が早かったです。慣れたのかな?こんなことに慣れたくないです。
辛いことばかり続いて私は、精神的にまいってしまっていましたが、
家族と主人とペットそしてHPで出会った友達のおかげで日に日に元気を取り戻して
頑張っていました。

 
平成13年8月

漢方薬を服用し、3月に卵管造影の検査をしました。左の残った卵管は無事通過が認められ
正常妊娠ができると先生に太鼓判をおされました。気長に頑張っていました。

きっときっと次は赤ちゃんを無事に妊娠できると信じて。。。











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